私のこと

昭和51年式のおっさん。

19歳で父親を亡くし、それまで明日の事すら考えていなかった兄ちゃんが

大真面目に家業のこれからを考えざるを得ない状況に。

当時の借金2億5千万。累積赤字8千万。

文字通り、いつ倒産しても不思議ではない状況。

24歳で新規事業を開始。

今日まで法人4社(うち2社は事業継承)グループ総売り上げ8億円突破。

ここから更なる成長を遂げ、次の世代に何を残せるかが自らに課せられたイチ社会人としての使命だと思ってます。

ただし、仕事上の夢よりも自分にとっては妻、そして家族の方が優先度は遥かに上。

仕事仕事で妻との時間を犠牲にしたくはない。

というかですね、目の前のたった一人の人すら幸せに出来ずに

どうやって赤の他人であるお客様を幸せに出来るのだろうか?

どうやって取引先と良好な関係性を築けるのだろうか?

こんな風に僕は考えてます。

飲みニケーション

接待ゴルフ

などなど。いずれも大嫌いなワードであり、私自身は絶対にしない事ですが。

家族を犠牲にしてまですべきこと?

それをしなければ保てない関係性なら切ってしまった方が良い。所詮その程度の縁だったってだけです。

それをしなければ出世に影響するなら、それをせずとも実力で出世する術を考えた方が、家族もハッピー。そして仕事の生産性も爆上がりするよねって考え方です。

仕事をする上で他人の力を借りる事。人の縁はめちゃめちゃ大事です。

でも、だからと言って家族を犠牲にして接待に明け暮れるって

自分の実力が無いからそういう仕事とは全然関係ない事で関係性を作ってという浅ましい考え方ですよね?

仕事の実力があれば、あるいは自分自身に「この人と仕事したい!!」と思わせるだけの人間力を付ければ、そういうのって一切必要ないんじゃないかな。

身の丈に合わない変な手段を使うより、自分の実力を高める事に集中した方が人生の彩がより鮮やかになるって考え方です。

何はともあれ1日24時間誰にも平等に与えられた時間のバランスを取りつつ

あまり肩肘張らずに生きて行きたい。

僕の思う人生感

人生って壮大な「一人玉入れ大会」みたいなもんだと思ってます。

誰と競うでもない玉入れ大会。

時々笛が鳴ります。笛が鳴ったら振り返りタイム。

振り返りタイムにカゴに溜まった玉を眺めて

この時こうやってん、ああやってん。

なんて振り返るわけです。

他人のカゴや玉は自分自身にとって全く関係ないはずなのに

なぜか多くの人は他人の事に興味津々。

あいつの玉、金色の持ってるで!なんかせこい事したんちゃうか?

あいつめっちゃ卑怯な事して玉入れとったで!

こんなこと言う人、結構いますよね。

そして不思議なことに、投げた玉が普通の玉なのか、はたまた金色の玉なのかはカゴに入った後、なおかつ笛が鳴った後じゃないとわからないものなんです。

たった一回の壮大な玉入れ大会なんです。

時には立ち止まって少し考えるのも悪いことじゃない。

でも、この玉は何色なんやろ?変な色の玉やったら嫌やしなぁ・・・とか

この玉、金色の玉な気がする・・・だから絶対失敗したくないねん・・・

どうすればまっすぐカゴに入るかな・・・どうせ俺には無理なんちゃうかとか思い悩むより

とりあえず投げまくっといた方が良いんじゃないの?

ハズレもいっぱいある。

変な色の玉入れてしまったりもする。

でも、めっちゃ輝く黄金色の玉が入ってたりもする。

100発100中やったら何しても面白くない。

凸凹色んなことがあるからこそ、後で振り返ったらめっちゃ面白い玉入れになるんちゃうかなぁ。

そして、色々あって面白いからこそ、よしまた再開の笛鳴ったらあの手この手で玉投げまくったるぞと思えるんじゃないかな。

そんな風に考えてます。

今やってることが今後の人生のターニングポイントになる事なのか

そんなことはずっと先にならないとわからないのです。

そして、やりもしないのに結果がわかるなら漏れなく全員、大成功してます。

やりもしないのに「どうせ無理」とか言う人、あなたは預言者ですか?

考え方と口にする言葉を変えてみよう。

「どうせ無理」ではなく「これは難しいな。でも、こうしてみたらどうかな?」

難しいからこそ、達成した時の喜びはデッカいんです。

簡単なら誰でもやってるんです。誰もやってないからこそ大変だし、それを乗り越えた先には青い海が拡がってるんです。

壮大な、そして一回限りの人生。

楽しく、そしてあれこれ考え過ぎずにとりあえず玉投げまくってみては?

講釈は後からいくらでも言えますから。