すっかりご無沙汰が当たり前のようになってきたこちらのブログ。

これじゃいかんと今日は何か残しておくことにした。

ミシュラン三つ星のチカラ

ずっと前から「いつかは」と思っていたんです。

スペシャルな母の日やってやろうと。

だんだん母親も歳を重ね、遠出も難しくなり出して来た。僕が起業してからも母親でもあり、仕事においても二人三脚に近い形でやってきた。

本当に良く働いた人なので、人生の終盤に差し掛かって来たところで少しくらい良い思いをしたってバチは当たらないだろうし、そう言う機会がこれからはあって然るべきだ。

長男と言う立場からも僕が先陣を切ってやるべきだし、今後もしばしばやり続けなければならない。

ならばよし、今年やってやろう。

自らの手で、たった1人で新たに会社を興し、そこで稼いだ金でホテルの会員権を買い、一流と言われるレストランに家族を連れていく。

夢なんかではなく、これは絶対にやると決めたタスクのようなものだったので忙しいだの時間が無いだの言い訳無用で強制的にスケジュールを開け、京都で1番予約困難と言われる祇園さゝ木を予約し、特別な母の日を企画してきた。

前置きが長くなったけど「次は奥さんを連れて必ず」と思わせるところにミシュラン三つ星の本当の凄さがあるのかなと感じた。

正直なところ、一つ星と三つ星の味の差なんてものは僕にはわからない。何ならミシュランの星がなくったって美味しい店は山ほどある。

だけど、率直に衝撃を受けた。そして、今後奥さんと行くレストランの格を上げて行こうとも思った。

単に美味しいだけの店とは明らかに次元の違う佐ゝ木の凄さは大金を払い、時間も割くだけに値する価値があると思ったし、その価値を見出す体験とは何ぞや?と言う商売の秘訣たるヒントがそこに隠されているように感じた。

早速、他の三つ星レストランを予約したので奥さんとまた新たな体験をしに出掛けようと思う。

時代の変化

2号の自宅の新築に合わせるかのように1号のマンションも仮契約まで決まったと知らせを受けた。

かつて自分も経験してきた事とは言えおめでたい事だ。それぞれ新居でまたそこから始まる新たな生活も楽しみだろうし、環境が変われば色んな事も変化していくだろうと思う。更に良い方向に向かう事を祈るばかりだ。

方や自分も歳を取り、嫌でも時代の変化を感じずにはいられない。

自分自身も自分の事業も時代の変化に合わせて進化していかなければならない。

もはや自分の手を離れたグループ会社の役員会議にお節介のように出席して、今後20年先を見据えた新たな事業展開について熱弁を奮って来た笑

繰り返すが僕は役員でも何でもないんだけど笑

僕自身の事業も今年は挑戦と変化の年だ。

オッサンもオッサンらしく、若い子には負けじとまだまだ頑張りたい。そう思えば、僕は今49歳。

この歳でも新たなチャレンジをしようと思えば出来るのだ。人間、年齢なんか関係ない。いつからでも何にでもチャレンジ出来るのだ。

思うに、人生とは概ね願った通りになる。

その思い描いた中で100%叶うのか、50%叶ったのか。

50%叶った時点でそこから新たな枝葉を芽吹かせて、手段や道のりは違えど最終的に100%、120%、200%と昇華させて行く事だって可能だし、夢やその夢の叶え方なんて方法は無限大にある。

だからこそ志高く、でっかい夢を持つべきだ。

「バカみたいなことを言ってないで現実を見なさい」

「まずは現状を踏まえて目先の問題を解決してから」

こんなドグマに騙されては行けない。

こんな事を他人に言う人は、僕の人生の責任なんて取ってやくれないし、それどころか失敗する事を「強く」望んでおり、僕自身が何の変化もなく平々凡々とそいつと同じように足並みを揃え、目立たず何も事を成さず浦島太郎の如く気がつけば50、60歳になっていたよねと言う生き方を他者にも求めるような人種だと認識している。

自分の人生は誰も責任なんてとってはくれない。

故に自分の人生の舵取りは自分でやるしかない。

ならば他人に同調する必要性など全くないし、やりたいと思った事を1%でも可能性があるなら思い切り真剣にやるべきだと思う。

真剣にやれば知恵が沸き道が拓けてくる。

中途半端にやって、途中で投げるから「失敗」となるんだ。

阿呆と言う言葉がある。

特に関西地方では侮辱語として使われる事が多いけど、阿弥陀様が呆れるほど一心不乱に物事に打ち込むと言う解釈もあるそうだ。

僕は生来のアホであるが故にこれからもますます阿呆になって探求の道を続けたいと思う。