めっちゃ人気で人気すぎて全然手に入らず

抽選外れに外れていたこちらの手帳。

KNOXのオーセン。

文具好きな人なら誰でも知ってるこちら。

神が降臨して手に入りました。

手帳そのものに対してはこれじゃないとみたいなことは全然思ってなかったんだけど、大切に使ってる万年筆にペンホルダーが付いておらず、手帳に万年筆を引っ掛けると言う事が出来ないのだ。

心理的にも万年筆が裸の状態ではみ出してるのはあまりよろしくなく、万年筆一本だけを収めるペンホルダーを別途持ち歩いたりして凌いでいたけど余計に邪魔くさくなってしまい出番が減っていた。

こんな具合に1つに全部まとまるのが理想型で、その為にはオーセン以外には見当たらなかったのだ。

で、やっと理想のカタチに落ち着いたんだけど、この形になってまたしても変な考えがムクっと頭を過ぎる…。

絶対にポケットの中にメモを忍ばせておいていつでもメモが出来るように。

この用途ならこれが自分的にはベストだ。これは揺るぎない。

ここからが大問題。

ただ、近距離の移動とかちょっと外にご飯をとかなら全然これでOKなんだけど、出張にーとか、ミーティングにーとかとなると話が全く変わってくるなと。

そう思った瞬間、自分で自分に猛烈に

ええ加減にせぇ!!!

と突っ込んでしまった。

自分の中での理想の手帳スタイルとして何もかもが完璧!!となる日は一体いつになるのだろう…。

でもでも、間違いなく確実に理想型には近付いてて、ネタ帳はそれはそれじゃないとダメで、これはもう何年も続いてる。そしてサイズもそこそこ大き目なサイズなので持ち歩かずに自宅に置いてる。

要するにちょっと遠出するとき用のやつやね。

んーーー……。

まぁ…ちゃんと目的と意図がハッキリしないとすぐに何やかんや言うて使わなくなるから、それまでは新しい事には手を付けないようにしよう(自信はあんまないけど)

本日の奥さん

今日はまた奥さんの元を離れて移動する日だったし、1号の旦那さんのツテで特別に某所にいち早く入れて貰えるって事で奥さんと共に便乗させて貰った。

後に知るんだけど、結構このチケットがかなーり幅広く配られていたようなんだけど旦那さんの業界のような、ちょっとお堅い目の人達に限定したもんだと思ってたもんだから行ってみて人の多いのにビックリ。

駐車場に車を停めるだけでも一苦労。

更にはチェックもゆるゆるで何ならチケットない人も全然素通り…。そして大混雑。

ここに行ってみようかと決めていたところに至っては240分待ち。ビッグサンダーマウンテン級の待ち時間で流石に今日は無理だなと悟る。

仕事が溜まってる上に、後述するが結構深刻な思いがグルグルと頭の中で発生してたので早く食事が出来るところを探してサッと済ませて奥さんと別れた。

奥さんはその後もなかなかに大変な思いをしながら買物を済ませて何とか帰宅したと連絡が入った。

ショック過ぎた今日の出来事

その後、移動しつつ奥さんと何度か話をする傍ら、ずーーっと頭を思い切り殴られたような感覚になっている頭の中を整理しながら帰った。

今日すごく感じた事を記録しておきたい。

今日は正直、かなり大きなショックを受けて大真面目に将来についてちゃんと考えなければ…と大いに不安にもなった。

まず、これから益々人も物も1箇所にギュっと集約されていって、ある場所に集中する事が顕著になる。一見、それは華やかで便利で良いように思うが、いろんな格差はますます拡がって行くだろう。

「そこ」か「その外側」かでまるっきり世界が違うくらい違うようになり、恐らく外側は淘汰されていくだろう。

もしも誰かがこれを読んでくれているなら、話があちこちに飛ぶがじっくり着いてきて欲しい笑

Googleの入社テストで「魚が全くいない海で魚を取るにはどうすれば良いか?」と言う問いがあったらしい。答えは後述する。

スティーブ・ジョブズがかつて、自主退学した大学のカリグラフィの授業に興味を持って忍び込んで授業を受けた経験が後にAppleのMacintoshに美しいフォントを入れる事に役立った話は有名だ。

建築家の安藤忠雄さんはプロボクサーを目指していたものの挫折し、その後世界中の名建築を見て回った経験が後の自らの建築家としての創造性を育む貴重な体験だったそうだ。

本を読んでてこんな記述を見つけた。

人生80+まで生きると仮定した時、このように分けて考える事が出来るとの事。

20代まで・・・人生の春

30代から40代・・・人生の夏

50代から60代・・・人生の秋

70代から80代・・・人生の冬

自分はもう人生の夏はほぼ終わりでこれから秋に入って行くのだ。僕自身はこれまで、どちらかと言うと楽観的で今の現状を踏まえてなんて事はほぼ考えておらず、未来に向けて何をすべきかと言う事に傾倒してきたように思う。

前述のGoogleの問いの答えは

「魚がいないのに魚を取る事は不可能だ。だから、答えは何もしない。魚が取れるようになったら魚を取る」のだそうだ。

この問答は数日前に知り、今の自分自身の事業に置き換えて考えてはむむむ…と考え込んでいた。

スティーブジョブズしかり、安藤忠雄さんしかり

短期的に見れば不合理な事であっても長期的な視点で見れば合理的と言え、人生全体で考えた時、目先の合理性を求めるより長期的な視点で一見不合理な事であっても合理的な事に転換するなら長期的な合理性を求めるべきだと言う意見を本で読んだ。

この主張の理屈はわかる。僕自身も全く同じような体験をしたし、たしかにその通りだ。

でも、今から10年後を予測したって何もわからない。予測する事自体を無意味だと言い切る気も無いし、むしろ大枠として予想はすべきだ。

だけど概ね現実は予想とは大きく違う未来になる。

そう、これらの両面を知っていてそして予想通りにはならない事の方が多い訳なんだけど、それにしても今日のあの大混雑は「こう言う未来になりまっせ」と現実を急に眼前に差し出されたような感覚がして、背筋が凍る思いだった。

やがてこうなるんじゃないか…。となった時、いやその前に自分はどう立ち回れば良いのだろう…。

そして、人生の秋の時期に次の世代に何を残せるのだろうか。

間違いなくわかっている事は、自分の主だった事業の大半は今日体験した事の外側にある。この見たく無い現実から目を逸らしてはダメだ。

かつて香港で異次元級の大金持ちの暮らすエリアと、そこからほんの少し離れたところのスラム街のような今にも倒壊しそうなボロボロのアパート群を見た。そこを見上げた時、タンクトップ姿のおじさんが鍋で作ったインスタントラーメンを鍋のまま外に向かってすすってる姿が目に入った。

あんな風にこれから日本もなる。

そして、何かを変えなければ未来の自分の姿はあの鍋のままラーメンをすするおじさんになる。

今後やってくる未来に対して何をしてこれに立ち向かうのか。華やかな世界とは裏腹に今のままでは絶対にダメだと言う強い危機感を与えられた1日だった。

今日のタイミングで奥さんと離れたのは色んな意味で良かったのかもしれない。当分、何を話しても頭のどこかにこれがぶら下がっていて考え込んでしまう日が続きそうだからだ。

とりわけ今日は瞼の落ちる瞬間までずっと考え込んでいたけど、これだ!と言う打開策は見つからない。